京都経済短期大学・藤原ゼミ その3
<二日目>
今日行く学校は、バスで一時間ほど移動した後、さらに山道を一時間ほど歩いた所にある「ブルブラ小・中学校」である。
去年、藤原先生はこの学校に三つの教室を増築したらしい。
朝、昨日と同様に宿の前に集合する。
バスに乗ること一時間、一行は山道の入り口に着いた。
ここからは徒歩となる。
ユラユラ揺れる吊り橋を渡り、200メートルほどの急斜面を上る。
斜面を上りきった所で早くも一回目の休憩に入る藤原ゼミの一行。
うすうす予想はしていたが、やはり日本のお嬢さんたちに山登りは向いてないようだ。
その後は比較的平坦なあぜ道が続いたが、また15分ほどしたところで二度目の休憩となる。
休憩の度に女の子たちは鏡を取り出し、メイクが崩れてないかチェックしている。
なんとゆーか、「なんだかなぁ」という感じである。
さらにまた10分ほど歩いた所で三度目の休憩に入る一行。
肩で息をしながらも、すかさずサッと鏡を取り出し、メイクのチェックをする女の子たち。
「どこのセレブだ、おまえらは。」と思わず突っ込みたくなる。
もしかしたら、実は意外と余裕があるのかもしれない。
そんなこんながありながらも程なく、一行は目的地の「ブルブラ小・中学校」へ到着した。
この学校には、クラス1~5の小学生とクラス6~8の中学生が、合わせて300人ほど通っているという。
盛大な歓迎を受けた一行は、まず職員室でこの学校の教師の面々、そして村の有力者らしき人と挨拶を交わした。
去年の寄付に対する感謝状が藤原先生に渡される。
儀礼的な面会が終わった後、一行は出来上がった新校舎を見に行く。
新校舎の前には祭壇が用意され、オープニング・セレモニーが執り行われた。
デコレーションの施された校舎や周到に準備された歓迎の段取りからは、藤原先生への感謝の気持ちというよりもむしろ、関係者のさらなる援助に対する期待のようなものを感じる。
一連の形式的な作業も終わり、藤原ゼミの一行は本来の目的である文房具のプレゼントを開始した。
前日と同じように一つ一つのクラスで自己紹介をし、一人一人の生徒にノートやボールペンを手渡していく。
ただこの学校にはクラスが8つもあるので、その様子をずーっと見てるのにもさすがに飽きる。
というわけでゼミの一行には悪いが、わたしはしばし辺りをブラつくことにした。
校舎の裏にはトイレがあった。
しかしこのトイレ、全く手入れがされていないようで、三つの内二つは使用不能となっており、残りの一つは完全に詰まってイロイロなモノが溢れ出していた。
大体、生徒数300人の学校にトイレが三つというのは、普通に考えてもあり得ない。
子供たちはどうしているのかと思ったら、男の子も女の子もそこらの草っ原でワイルドになさっていた。
職員室にいたラナバットさんに聞いたところ、どうやらこの学校の校長、今度は新しいトイレを寄付して欲しいらしい。
しかしラナバットさんが言うには、新しいトイレなど建てなくても、今あるトイレを修繕し定期的に手入れすれば、十分問題なく使えるようだ。
問題があるのは、自分たちで施設を維持しようとしないこの学校の管理体制だという。
ゼミの一行の様子をみると、まだしばらくは文房具配りが終わりそうにない。
ヒマなので同じようにヒマそうだった七年生の生徒たちを相手に、英語の先生ゴッコをして時間をつぶす。
ちなみにネパールでは、小学一年生から早くも英語の学習が始まる。
今はどうか知らないが、私が子供の頃は、中学一年生になって始めて「This is a pen.」から教わったものだ。
(ゼミの学生を見た限りでは、十年たっても日本の英語教育の的外れっぷりは変わっていないようだが。)
ただ、小学一年生から英語教育が始まると言っても、ネパールの公立校は教師の質の差が大きいため、同じ学年でも学校によって生徒の学力が変わってくるようだ。
きちんとした英語を教えられる教師は数自体が少ない上、そのほとんどが給料の高い私立に行ってしまうという。
この学校も独自に英語教師を通常の倍以上の月給で雇っているらしいが、生徒の英語力は決して高いとは言えなかった。
「・・・と言ったワケで、脚なんてタダの飾りでーす。偉い人にはそれがわからんのでーす。ハイ、ここ重要なトコだからちゃんと覚えとくよーに。テストに出ますよー。」
小一時間ほどジオン軍のMSの素晴らしさを講義している間に、ゼミ一行の文房具配りも終ったようだ。
時間はすでに昼をかなり回っており、一行は学校側の用意した昼食をいただく事になった。
インスタントヌードル+ジュースという質素な食事だったが、山道を歩いて腹ペコだった我々は美味しくいただいた。
食事が終わると、学校の生徒vs藤原ゼミの一行でサッカーの交流試合が行われることになった。
男女別で15分ハーフの試合が2試合。
最初は女子チーム同士の対戦である。
キックオフと同時にボールに殺到する両チームの選手たち。
もはやポジションなどまるで関係ない。
パスもドリブルも無く、皆ひたすらボールを追いかけ、とにかく相手ゴールの方へ力一杯蹴っ飛ばす。
自然と試合時間の大半は、フィールドの中央付近で両チームがお互いにボール蹴り合ってる風景となる。
(ちなみにネパールの子供たちはみんな裸足)
何度か得点が入りそうな局面もあったが、結局どちらも得点できないまま試合は0-0で引き分けに終わった。
続いて男子の試合。
藤原ゼミの男子学生4名+藤原先生だけでは人数が足りないので、この試合にはラナバットさんと彼の助手、そしてわたくし自らが参戦と相成った。
何を隠そうこのわたくし、昔はバリバリのサッカー少年としてウィンブルドンを目指していた事もある。
パワーと引き換えにコントロールを犠牲にする「爪先蹴り」を武器に(味方の)得点チャンスを阻止するわたしを、仲間たちは「トーキックの鬼」と呼び恐れたものである。
対するネパールチームのメンバーは、十代半ばくらいの生徒たちによって編成されていた。
しかしよく見ると、この学校の校長が何気にメンバーに紛れ込んでいる。
どうやら参戦するようである。
ホストの義理か、それとも更なる寄付を得るために交流を深めておこうというのか。
いずれにしても、四十過ぎのおっさんが大した戦力になるとも思えない。
そして、キックオフ。
特にポジション決めもしないまま試合は始まったが、それでも女子の試合より幾分サッカーらしくはあった。
ただグラウンドは整備されておらず、あちこちに起伏があるのでドリブルが難しい。
牛糞もあちこちに落ちている。
だが、ネパールチームの選手たちはそんなものものともせず、素早い動きで何度もこちらのゴールを脅かす。
常日頃から足腰が鍛えられているのだろう。
そんな時、あの校長にボールがわたった。
「彼ならば」と、わたしは校長に接近しプレッシャーをかけた。
だが次の瞬間、わたしは信じられないモノを目にする。
校長が、四十過ぎのおっさんが、左右に揺れるようなフェイントを入れると、残像すら残して目の前から消え失せたのである。
あわてて振り向くと、彼はわたしを抜いた勢いのままゴールに向かって突進していく。
校長、恐るべし。(ちなみに彼も裸足)
そんな動きまくるネパールチームを相手にわたしは、開始5分でもうスタミナ切れの状態になった。
ゼーハーゼーハー言いながらチームメイトを見やると、他の学生たちも息を切らしてはいたが、それでもまだ余裕はありそうだった。
これが若さか。
ボールの支配率は圧倒的にネパールチームの方が多く、日本チームはシュートまで持って行くことすらできない。
そうこうする内にネパールチームのシュートが立て続けに決まり、前半終了時点で0-3と大きく引き離される。
後半に入ると日本チームからも硬さがとれてきて、チームプレーらしきものも見られだす。
「せめて1点だけでも」という、ゴールに対する執念も見え始める。
そんな後半5分、ついに決定的なチャンスが訪れた。
フリーの位置でこぼれ球を拾ったわたしの前に、敵ディフェンダーは見当たらなかった。
わたしはスタミナを振り絞ってゴール前までドリブルで持っていくと、全力を込めた必殺「トーキック・シュート」を放った。
ボールは明らかに狙ったのとは違うコースに妙なスピンをしながら飛んでいき、しかしそれでもゴール左隅に見事決まった。
(経過はともかくとして、結果だけ見れば)絶妙のコースを狙った、俊介もビックリのスーパーシュートである。
日本チーム、初得点。決めたのは俺。
おいしい・・・、おいしすぎるシチュエーションである。
ゼミの女の子たちもこれを見てきっと、「知的なだけじゃなく運動神経もグンバツ(死語)なんだ」とか「ベッカムに似ているのは顔だけじゃないんだ」とか思ったことだろう。
やれやれ、ヒーローというのも面倒なものである。
女の子たちの黄色い歓声に応えるべく、わたしは振り返って拳を掲げた。
そのガッツポーズの先には、何やら試合そっちのけでネパールの子供たちと遊んでいる彼女たちがいた。
・・・・・見てないじゃん。
反応が薄いのはゼミの女の子たちだけではなかった。
ネパールチームが得点を決めたときはアレほど湧きかえった観客たちもシーンとしている。
アウェイで戦う選手の気持ちが分かった気がした。
虚しく掲げた拳をそっと下ろし、そこはかとなく淋しい気持ちを抱えたまま、それでも試合は続く。
その後もいくつかの惜しいプレーが見られたがどれも得点には結びつかず、結局試合は1-4でネパールチームの勝利に終わった。
日本チームの完敗と言える内容ではあったが、それでもこの試合のお陰で藤原ゼミの学生たちとも少し打ち解ける事ができた気がした。
試合の後は、ゼミの学生たちがそれぞれ思い思いに子供たちと遊ぶ風景が見られた。
どこかぎこちなかった昨日と違い、今日の彼らの姿には主体性が感じられる。
日本の毒(社会的精神安定剤)が抜けて、拘束されていた個性が顔を出しつつある、といった感じだろうか。
陽も傾きかけた頃、一行は帰りの途についた。
帰りも当然、朝来た山道を下っていかねばならない。
皆疲れているはずだが、特にツラそうにしている者もいない。
わたしはと言うと、久しぶりにサッカーなどという慣れない運動をしたので脚に来つつある。
同じ試合で中年にあるまじきフットワークを披露した校長も、一行の見送りの為わたしの前を歩いているが、道すがらずっと「脚が痛い」と繰り返している。
日本からの客人を精一杯もてなそうと言うその心意気は見上げたものだが、そこまで命削る必要もなかろう。
そもそもホストである校長が、客人であるゼミ一行を全力で打ち負かしにかかるというのは、はたして接待としてどうなのだろう。
これが日本のサラリーマンだったら、間違いなく離島に左遷コースである。
「・・・ああ、だからこんな辺鄙な所で校長なんてやってるのか。」
一人納得しつつ、夕日が照らす山道をわたしは無言で下って行った。
明日はいよいよ学校の建設現場に行くという。
本日の真理: 『日本の学校はNOVA倒産で放逐された外人講師を雇うべし。』
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