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京都経済短期大学・藤原ゼミ その2

<一日目>

朝、宿の前にはおそろいの空色のTシャツを着た日本人の集団が、ネパールの街並みで一際異彩を放っていた。
今日は、以前に藤原先生が建てた小学校を訪問し、生徒たちに日本から持ってきた文房具を配るらしい。

チャーターされたバスに乗ること20分。
一行はポカラでの活動、一つ目の『クンダル小学校』に到着した。
パッと見たところ、平屋建ての長屋のように連なる5つの教室と、古びた職員用の建物しかない。
この学校は2年前に藤原先生とラナバットさんによって建てられたが、始めは資金の関係で2つの教室しか作れなかったそうだ。
しかしその後、彼らの活動に触発されたこの学校の校長が資金を集め、さらに3つの教室を増築したという。(ネパールの小学校は五年生まで)

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一行がバスから降りると、数人の教師たちが中から出てきて彼らを出迎えた。
教師たちは藤原先生と学生たち一人ずつに歓迎の花を手渡していく。

校門をくぐった一行はまず、敷地の隅にポツンと立ったトイレへ向かった。
といっても、別に急な腹痛に見舞われたわけではない。
このトイレは、去年この学校を訪れた藤原ゼミの学生たちが、自発的に資金を出し合って作ったものだそうだ。
壁には彼らの名前が刻まれたプレートがかけられていた。

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トイレのできばえを確認した一行は、いよいよ子供たちの待つ教室へと入っていった。

教室に入ると、子供たちから学生たちに改めて歓迎の花(というか草というか)が手渡された。

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まず、藤原先生が子供たちに英語で自己紹介をし、自分たちの活動の内容と文房具を配りに来たことを伝える。
続いて、学生たちが一人ずつ自己紹介をしていく。

「マイ・ネーム・イズ・○○○、マイ・ニックネーム・イズ・○○○、ナイストゥーミーチュー。」

初対面の相手に本名とニックネームを両方言う必要があるのか、多少疑問に思ったが全員が全員、この基本文型から少しも外れることなく自己紹介を終えた。
文部科学省の本末転倒した指針に沿った日本の英語教育、その成果が花開いた瞬間を目の当たりにし、感動にも似た目眩を覚える。

そんなこんなで全員の自己紹介も終わり、いよいよ文房具の贈呈である。
学生たちがノートとボールペンや鉛筆などを、ネパールの子供たち一人一人に配っていく。

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しかし、なぜかどの学生たちも表情が硬い、というか子供たちとロクに目を合わせてもいない。
何となく子供たちを怖がっているような感じもする。

一方、子供たちはと言うと、皆、受け取るときは恥ずかしそうだが、その後の表情はとても嬉しそうだ。

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一つの教室が終わると彼らは次の教室に移り、同じようにまた自己紹介をしてから配る。
五つのクラス全てに配るのには、結局、一時間ほどかかった。

文房具の贈呈が終わると一行は校庭に出て、今度はカバンの中からオモチャを取り出しはじめた。
子供たちとの交流の時間らしい。
風船やなわとび、折り紙にシャボン玉など、オモチャはどれも日本から持ってきた物のようだ。
特に風船は大人気で、藤原先生や学生が膨らましている間、子供たちは飢えた野犬のような目で周りを取り囲み、それが宙に放られる瞬間を待っている。
そしてその風船が放られた後は当然、野犬の群れに生肉を放り込んだような状況になる。

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ここでも学生たちは子供たちのパワーに押されまくって、動物園の新米飼育員のようになっている。
これほどエネルギッシュな(言い換えれば、娯楽に飢えた)子供など、日本ではどこを探してもいないだろう。
常にある程度満たされている者は、逆に大きな喜びを感じられなくなる。
日本の子供たちが無気力・無感動になっているのは、彼らが渇望する前に全てが与えられてしまっているからとも言える。

彼らが子供たちと遊んでいる間、わたしはラナバットさんとこの学校の教師たちに詳しい話を聞いてみた。

この学校には一年生から五年生まで、合わせて90人ほどの生徒が通っているが、そのほとんどが低カーストの貧困家庭の子供たちだという。
この日は日本人が来るという事もあってほとんどの子供たちが来ていたが、普段は家庭の事情などもあり、必ずしも毎日登校して来るわけではないらしい。
ネパールもインドと同様、教育に対する意識の低い貧困層では、子供を労働力として考える風習がある。
教育こそ生活向上に最も有効な手段だが、その効果が即座に現れないというのが弱点でもある。

問題は学ぶ側にだけあるわけではない。
この学校には現在6人の教師が勤務しているが、その内、国から派遣された教師は(公立校にもかかわらず)4人だけだという。
残りの2人は、学校が給与を支払い雇っているという。
この教師不足の問題は、授業料が無料の公立小学校ならどこでも抱えている最大の悩みだという。
クラスの数よりも教師の数が少ないというのは、学校としての最低限の条件すら満たしていない事になる。
ネパールが最貧国の一たる所以は、不安定な国内事情と並んで、この教育制度の不備が最大の原因と言えるだろう。
(そう考えると戦後日本の義務教育制度、公立小・中学校の充実ぶりは極めて合理的な政策であったと言える。これがなければ今現在、日本は世界に名だたる技術・産業大国の地位にはなかったかも知れない。)

また、この学校には目に障害を持つ子供たちが10人通っているという。
彼らは点字で教育を受けているが、その点字の教科書がまた高いらしい。
それでもまだ彼らは幸運な方かもしれない。
なぜなら、この学校の教師の一人も同じように目が不自由だからだ。
他の学校に点字を教えられる教師がいるとは考えにくい。

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だが何よりも特筆すべきは、二年前に二つだけ建てられた教室が今は五つに増えている、という事実であろう。
これが示すのは、「10必要としている者に10全てを与える必要はない。」という、援助における真理である。
何の苦もなく欲しいものが手に入ったら、すぐに人はありがたみを忘れる。
そして与えられることに慣れ、何もせずにただ要求するだけの人間になるのである。
飢えた人間に食べ物をやっても、しばらくすればまた飢える。
だが、食べ物の代わりに種をあげれば、彼は自分で食べ物を作れるようになる。
欠落を補完するのではなく、自立を促すのが援助のあるべき姿なのだ。
変化とは、常に内側からによってのみ可能なのである。

しばらくすると子供たちがバラバラと帰り始めた。
今日はここまでのようだ。
藤原ゼミの一行(+わたし)は一休みした後、教師の方々に別れを告げ、帰りの途についた。

今日を振り返ってみて最大の収穫は、ネパールの現地の状況を詳しく聞けたことだろう。
ただ、残念ながら肝心の藤原ゼミの学生たちからは、特に目を引くような行動が見られなかった。
彼らはいまだ殻から出てきていないように感じる。
明日以降どうなるのか、引き続き観察していきたい。

本日の真理: 『人は動物と思え。特に子供は野生動物と思え。』

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