水は低きに流れ (4)

放課後の特別クラスを始めて半月もすると、参加する5年生の生徒は二人にまで減った。
この年齢層の子供にとって、自分の置かれている状況を客観的に理解し、将来について真剣に考えるというのはやはり難しいことなのだろう。
人生の流れを大きく変えるには、何よりも本人の主体的で強い意志が重要だ。
自分の将来について自分の頭で考え、自分の力で切り拓いていく姿勢が不可欠なのだ。
最後まで残った二人の5年生「ビル」「シュレンドラ」からは、その可能性が感じられる。
そして、参加人数が減るにしたがって、特別クラスはより集中した空間になり、生徒の進歩は加速していった。

やがて間もなく、学年末テストの時期がやって来た。
この試験にパスすると次のクラスに上がれる仕組みだが、実際は余程学力に問題がない限り、なぜか進級できてしまう。
その秘密は、教師たちが成績表を改ざんして、試験をパスしたことにしてしまうからだ。
私はこれを何度も止めるように言ったが、ほとんどの教師(特に正教員)は聞く耳を持たないので、もう放っておくことにした。
今はやる気のない教師や生徒には構わず、有望な生徒だけ集中的に指導する方針にしている。
すでにビルとシュレンドラは学年末テストなど余裕でパスできるだけの学力を備えていたため、私は学年末テストそっちのけで彼らのシャムロック入試対策に力を入れた。
その意味で、この学年末テストの期間中やテスト休みの期間は、特別クラスで集中的な指導をする絶好のタイミングである。

ビルとシュレンドラは一日も休むこと無く、特別クラスに来た。
その他にも4・3年生の生徒が何人か来ているが、2年生以下はやかましいので締め出している。
毎日4時間以上、算数を中心に基礎から徹底的に固めていく。
ちなみにネパールの算数(数学)は、進行が速く、底が浅い。
つまり、問題が単純で頭は大して使わないが、たくさんの事を覚えなければならないようになっている。
元々、物覚えのいい二人の5年生はどんどん吸収していき、春休みに入る頃には6年生の問題もほぼ全て解けるほどにまでなった。
シャムロック・スクールの試験は『英語・算数・知能テスト』の三科目なので、少なくともこれで筆記試験の合格圏内には入ったと思う。

4月上旬、シャムロック・スクール入学試験当日。
私はビルとシュレンドラを連れて、シャムロック・スクールの門をくぐった。
彼らはよく頑張った。
シャムロック入学の競争率は20倍ほどらしいが、この二人なら可能性は大いにある。
私はただ一言、「幸運を」と言って彼らを送り出した。

二人は同じ学年だが、歳は2つほど違う。
ビルは13歳、シュレンドラは11歳だ。
二人とも決して、ずば抜けて頭が良いというわけではない。
ビルは並、シュレンドラは並より少し上、といった程度だ。
しかし、彼らには誠実さ努力する才能が備わっている。
これは彼らが幼いながらも精神的に自立していることの証であり、だからこそ私は彼らを気に入っている。

試験は3時間ほどで終わった。
この日は筆記試験だけで、後日、成績上位者数十名が二次試験の面接に呼ばれる。
出てきた二人に試験の出来を聞くと、二人は「良かった」とだけ答えた。
楽観主義のネパール人の自己評価はあてにならないが、いずれにせよ、とにかくやれる事は全てやった。
あとは天命を待つだけである。

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水は低きに流れ (3)

算数力アップのためには、まず計算力をつける必要がある。
私自身にとっても数学は鬼門であったが、教える立場になってみると、数学は英語と学習のポイントが似ていることに気付いた。
どちらも上達には、反復的な基礎練習がモノを言う。
基礎固めが出来ていないまま先に進もうとするから、途中で全く理解できなくなり、数式アレルギーになってしまうのだ。

ネパール人の数学への理解は、数学の苦手な私から見ても極めて薄っぺらい。
その為、基礎的な計算練習もまるで足りていない。
そもそもネパールには、ドリルも問題集も存在しない。
教科書に書かれたわずかばかりの問題しか、練習するものが無いのである。
そこで私は計算ドリルを日本から持参し、授業で使うことにした。

そうして分かったのは、クラス内で学力に大きな開きがあることだった。
クラスの半数以下の生徒しか授業についてこれない状況だ。
これはまさに進級試験がまともに機能していないことの現れである。
そこで私はドリルを使って、各生徒のレベルに合った練習を与えることにした。

その一方で私は、主に5年生の生徒を対象に、放課後の特別クラスを設けることにした。
見込みのある生徒が私立校へ進学できるように、受験対策をするためである。
目標は、ポカラのシャムロック・スクールへの入学だ。
シャムロック・スクールは、アイルランド系のビジネスマンが運営している非営利型の全寮制私立校だ。
総生徒数が70人ほどの小さな学校だが、学費も生活費も無料なので、毎年数百人もの入学希望者がやってくる。
しかし、一次試験の筆記と二次試験の面接を通過し、晴れて入学を許されるのはたったの十数人だけである。
そこに入るには普段の授業以外に、集中的な受験対策をするクラスが必要だ、と私は考えた。

放課後残って特別クラスに参加するかどうかは、完全に各生徒の自由だ。
残りたければ残ればいいし、帰りたければ帰っていい。
ただ1つだけ、私は生徒にこう約束した。
「もし、この特別クラスに毎日参加し、一生懸命勉強したなら、私立に行くチャンスをやる。」

初日、5年生の過半数が残って、特別クラスに参加した。
しかし、その数は日を追うごとに減っていった。
そんな生徒たちに対して、私は特に何も言わなかった。
一日二日、頑張ることは誰にでもできる。
だが、それをずっと継続するには、『確固たる動機』が必要だ。
それを見極めるために、私は「毎日参加すること」を条件にしたのだ。

ネパールで貧困層に生まれた者がそこから抜け出すのは、並大抵のことではない。
たとえ、この子供たちが私立校には入れたとしても、その先にはさらなる障害がいくつも待ち構えている。
それらを自力で乗り越えていく覚悟のある者に、チャンスは与えられるべきだと私は考える。

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水は低きに流れ (2)

ネパールの学校での主要科目は、国語・英語・算数・理科の4つ。
この内、国語に関しては、ネパール語の教科書を使っている分、公立校の方が私立校より有利な立場にいる。
その逆に英語では、国語以外の教科書が英語で書かれている私立校のレベルに、公立校は遠く及ばない。
算数と理科に関しても、公立校の生徒は英語で書かれた問題を理解することすらままならないのが現状だ。
このように教育の土台が公立・私立で分裂しているのは、多くの国民が政府の教育政策を見限っていることの現れだろう。
中流階級以上の人々は、ネパール人にとって英語は絶対に必要なスキルだ、と理解しているのである。

一方で貧困層の人間には、たとえ英語に弱くても無事卒業できさえすればいい、と考えている者も多い。
確かに、英語ができなくても公立校を卒業することはできる。
あるいは、高校を卒業した人間の数自体が少なかった2030年前ならそれでも良かった。
だが、農村部ですら高校卒業が普通になりつつある現在、コネもカネも無い人間が良い仕事に就いて貧困から抜け出すには、大学や私立の短大・専門学校などで学位や資格を取得する他に道は無い。
しかし、公立校の卒業生が大学の入試に合格できる可能性は低く、当然、短大・専門学校に行くだけのお金も持っていない。
中には成績が良くなくても安い学費で行ける学校もあるが、当然、そういった学校を卒業してもメリットはほとんど無いのである。

仮に運良く大学に入学できたとしても、そこには更なる困難が待ち構えている。
大学や専門学校では、私立校と公立校両方の卒業生が一緒に学ぶことになる。
そして、多くのコースは英語で書かれた教科書を使い、授業も英語で進められる。
まさに私立校と同じ方式だ。
私立校上がりの学生にとってこれは今までの延長でしか無いが、公立校上がりの学生にとっては残酷なまでに高い壁となる。
そういった環境で公立校の卒業生たちは、私立校の卒業生たちを相手に競争していかなければならないのである。

私の理想は、公立校のレベルを私立校と同等にする事だ。
そして、それはお金をかけずとも、決して不可能ではないのだ。
しかし、去年の6年生クラスの新設が頓挫したことで、私は公立校の改革に限界を感じ始めるようになった。
確かに、新しいシステムの導入で状況は多少改善した。
だが、それがSG小学校を卒業していく子供たちの将来を大きく変化させるかと問えば、答えは否である。
現にこの学校の卒業生の多くが、進学先の公立中学・高校で上位に位置している。
しかし、それも私立のレベルから見れば、並かそれ以下でしかない。
せっかく私立のレベルに追いついた英語も、進学先が公立校では錆びつく一方だ。
結局、現状では公立校にいる限り、まともなチャンスは得られないのである。

ならば、私立に進学させるしかない。
幸い、親たちの中には子供を、中学校から私立に編入させたいと考えている者も多い。
これまでは公立校の生徒が私立に編入しても、クラスの底辺に落っこちるだけだったが、SG小学校の生徒なら何とか並に留まれるだろう。
そうなると今すべきことは、自分の生徒が私立校で生き残っていけるような基礎を作ってやることだ。
私が算数と理科を教え始めたのは、そう考えたからである。

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